2013年03月08日
マルメロと加瀬以多(かせいた)
銘菓「加瀬以多」の原材料は宇土産のマルメロだった
「宇土の今昔 百ものがたり」より


加瀬以多(かせいた)という変わった名前の菓子が江戸時代の熊本藩の銘菓として、徳川幕府や京都の公卿への贈り物とされた。
1713(正徳三)年や、1722(享保7)年の細川家史料に幕府への献上品の一つとして載っており、江戸時代から作られていた。
数年前までこの菓子は加瀬以多の名で、老舗菓子店において製造していたが、その店が廃業し、伝統ある銘菓加瀬以多は存亡の危機に瀕した。その後別の菓子店がこれを継承し、現在でも店頭でこれを買いこれを食することができる。

香梅白山本店にて販売

この加瀬以多の原料がマルメロというバラ科の植物で秋になると洋ナシ似た果実をつけ、西洋カリンともいい通常砂糖漬けとして食用するといわれる。
現在販売している。株式会社 古今伝授の間 香梅 の資料によれば、熊本では八代を中心にマルメロの木が植えられその果実が集荷すされていたと記されております。
宇土市教育委員会 文化課の資料によれば、
マルメロは江戸時代、銭塘手永走潟村の緑川の河岸段丘上にかなりの範囲にわたって植えられていたことが1835(天保6)年頃に描かれて「緑川絵図」によって知ることができます。

このことを基に、走潟町公民館長さんと教育委員会生涯学習課の木下課長さんの声掛けにより、公民館の庭先にマルメロを植樹することに相成りました。

今回の植樹には、区長さん方も参加されております。

「血統書付のマルメロ」
走潟町の新たな名物を発見
宇土市の歴史文化に対する高い見識が、今後新しい産物の足掛かりになる。
「宇土の今昔 百ものがたり」より
加瀬以多(かせいた)という変わった名前の菓子が江戸時代の熊本藩の銘菓として、徳川幕府や京都の公卿への贈り物とされた。
1713(正徳三)年や、1722(享保7)年の細川家史料に幕府への献上品の一つとして載っており、江戸時代から作られていた。
数年前までこの菓子は加瀬以多の名で、老舗菓子店において製造していたが、その店が廃業し、伝統ある銘菓加瀬以多は存亡の危機に瀕した。その後別の菓子店がこれを継承し、現在でも店頭でこれを買いこれを食することができる。
香梅白山本店にて販売
この加瀬以多の原料がマルメロというバラ科の植物で秋になると洋ナシ似た果実をつけ、西洋カリンともいい通常砂糖漬けとして食用するといわれる。
現在販売している。株式会社 古今伝授の間 香梅 の資料によれば、熊本では八代を中心にマルメロの木が植えられその果実が集荷すされていたと記されております。
宇土市教育委員会 文化課の資料によれば、
マルメロは江戸時代、銭塘手永走潟村の緑川の河岸段丘上にかなりの範囲にわたって植えられていたことが1835(天保6)年頃に描かれて「緑川絵図」によって知ることができます。
このことを基に、走潟町公民館長さんと教育委員会生涯学習課の木下課長さんの声掛けにより、公民館の庭先にマルメロを植樹することに相成りました。
今回の植樹には、区長さん方も参加されております。
「血統書付のマルメロ」
走潟町の新たな名物を発見
宇土市の歴史文化に対する高い見識が、今後新しい産物の足掛かりになる。
Posted by 平江こうき at 23:23│Comments(2)
この記事へのコメント
こんばんは。
加勢以多ってマルメロと果実が使われているのですね!
お茶をしている母がよく買ってくるのですが、
知りませんでした。母にも教えてあげよう^^♪
加勢以多ってマルメロと果実が使われているのですね!
お茶をしている母がよく買ってくるのですが、
知りませんでした。母にも教えてあげよう^^♪
Posted by フロント もぐ美
at 2013年03月09日 01:05

コメントありがとうございます。
加瀬以多は細川藩の江戸幕府への献上品として作られましたので、ご贈答品として最適だと思います。
3月9日の熊日新聞 19面のローカルワイド県南にも登載されております。
加瀬以多は細川藩の江戸幕府への献上品として作られましたので、ご贈答品として最適だと思います。
3月9日の熊日新聞 19面のローカルワイド県南にも登載されております。
Posted by 平江こうき
at 2013年03月09日 07:59

※会員のみコメントを受け付けております、ログインが必要です。